散歩と田名向原遺跡(2023年10月)

散歩・サイクリング

神奈川県相模原市にある田名向原遺跡公園と旧石器時代学習館(旧石器ハテナ館)に行き、周辺を散歩してきました。

田名向原遺跡

田名向原遺跡は、平成9年に旧石器時代(約2万年前)の住居状遺構が発掘された遺跡です。国内で旧石器時代の遺構は珍しく、今のところは日本最古のものとのことです。
住居状遺構は、焚き火跡を中心に直径10mくらいの円形のものです。また、この場所は、石器製作の場として利用されていたと推定されているそうです。
田名塩田地区では、他にも縄文時代の村や古墳時代の古墳群が発見されています。

田名向原遺跡公園

田名向原遺跡公園は、旧石器時代の住居状遺構、縄文時代の竪穴住居、古墳時代の小型円墳を復元し、展示しています。3つの時代の遺構が同じ場所で復元されているのは珍しいと思います。
公園自体は小さく0.82haです。よく言われる東京ドームにすると、約0.2個分です。

住居状遺構

旧石器時代の住居状遺構を復元したものです。
焚き火跡と柱が立っている場所が示されているようでした。
柱や屋根などの上物がないので、見てもよくわかりませんでした。
旧石器時代学習館に復元模型があるので、それを見てイメージを膨らませるしかありません。

竪穴住居

縄文時代中期(約5,000円前)の竪穴住居です。
他の所でも竪穴住居の復元を見たことがありますが、ここの住居はかなり小型のものでした。入口も屈んで小さくなってようやく入れるくらいです。
中は2人寝れるかどうか、くらいの広さでした。

小型円墳

古墳時代(約1,400年前)の小型の古墳を復元したものです。
この辺りには10数基の古墳が確認されており、谷原古墳群と総称されています。
古墳に関しては情報が少なく、よくわかりませんでした。
歴史の授業でも、飛鳥時代から、どんな人がいたのか、どんな生活であったのかなどが出てきますが、古墳時代ってどんな時代だったのかいまいち情報が少なくイメージが薄いですよね。

旧石器、縄文、古墳時代と人がいたようですが、弥生時代がありませんでした。弥生時代には人が住んでいなかったのか、住んでいたけど遺構が見つかっていないだけなのか。歴史に穴があるようで不思議です。

旧石器時代学習館(旧石器ハテナ館)

建物は比較的新しく綺麗なものでした。
旧石器時代を中心に展示しており、縄文時代も少しある程度でした。

大きなビジュアル年表があり、約600万年前からの人類の歴史が見れます。
アフリカで生活していた人類が、アフリカを出たのが約15~10万年前、日本の旧石器時代が約4~1.5万年前、縄文時代が約1.5万年~2千年前、人類が世界に広がってから少ししか経っておらず、ましてや文明が発達したのはごく最近のことなんだと視覚的に実感しました。
何百年も大きな変化がなかったであろうと思うと、今の時代はとてもせわしないように思えます。

旧石器時代の暮らしの解説や人型模型があり、どんな暮らしであったのかイメージしやすかったです。
着ている服や履いている靴を見ると、動物の皮で作ったものと思われ、意外とちゃんとしているんだと思いました。裸に腰蓑ではありません。氷河期で今より7~8℃くらい寒かったと言われていますが、服を着ていると結構暖かかったのかもしれません。

他にこの田名向原遺跡で発掘された住居状遺構の解説や復元模型がありました。
正直、遺構の解説はよくわかりませんでした。
なんとなくわかったのは、旧石器時代に石を加工する職能集団みたいな人たちがいたんではないか、ということです。使用している石は長野県から来ていたりし、交易のようなものがあったのかも知れない。道や宿が整備されていた訳ではないと思うので、時には100kmを超える距離をどうやって移動していたのかなど、興味深いです。
また、この遺構の屋根は鹿の皮で作られていたとのことです。縄文時代以降の茅葺や土の屋根のイメージは持っていましたが、動物の皮で屋根を作るという発想はなかったです。なんか野性味と荒々しさがあり驚きました。
海外の建物も紹介されており、ウクライナのメジリチ遺跡で発掘されたマンモスの骨で作られた家がありました。かなりのインパクトで漫画の世界のようでした。(国立科学博物館にレプリカが展示されているそうです)

HPはこちら
施設案内 史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館(旧石器ハテナ館)|相模原市 (city.sagamihara.kanagawa.jp)

相模原の北海道?

田名向原遺跡を見学後、片道30分ほど歩いてお昼を食べに行きました。
しばらくは、圏央道のインターや工場など、あまり面白味のない景色でした。

そこを抜けると広い田園風景が広がっていました。
奥に見えるのは、少し高くなっている相模野台地です。この辺りは河岸段丘と呼ばれ、相模野台地から相模川に向かって階段状に低くなっています。上の台地から1段降りたこの辺りの平地は田んぼや畑が広がっています。
大きな青空と森や畑の緑が広がって、なんだか北海道っぽい感じがしました。

快晴の青空と低く広がった雲、とても気持ちのよい場所でした。

歩いていると大きな鳥が2、3羽飛んでいるのが見えました。
大きく羽を広げて飛んでおり、タカっぽなぁと思ってみていると、近くの電線にとまりました。
相模原にタカいるとは、全然知らなかったので、ちょっとびっくりして興奮しました。
写真では小さくしか撮れておらず、鳥に詳しくないので種類は分かりません。
都心からこんなに近い場所で見られたことに、驚きです。

飄禄玉(ひょうろくだま)

田園風景の中をしばらく歩いて、お昼は飄禄玉に入りました。
昭和34年創業の川魚の料理(マス、アユ、コイ)のお店です。
広い座敷で20組くらいは入れそうでした。
私は江戸時代の雰囲気を感じました。昭和創業なので個人的な印象かもしれません。
お昼前でしたが、既に4,5組の方がいらっしゃいました。

飄禄玉 ひょうろくだま(公式ホームページ)川魚料理 ますの唐揚げ 鯉あらい あゆ 鮎 ます寿司 相模原市 (hyoroku.co)

「ますのいくら丼」を食べました。
価格は2,000円。安くはないですが、いくらがたっぷりです。
サケのいくらと違いマスのいくらは小さいです。小さな粒がぷりっぷりで、塩気が利いており、何もかけなくても味がしっかりしておいしかったです。
隣にある海苔に巻いて食べると、海苔の風味と相まって、また美味しかったです。
ほかにワサビを付けて食べてもよかったです。味がしっかりしていたので、醤油は必要ありませんでした。
味噌汁はすり潰したコイが入っていました。クセがなかったですが、魚の味として特に特徴があるようには感じませんでした。

窓からは、田園と丹沢山系が望めます。
夏休みの田舎にいるような気分になりました。
懐かしいような、いい景色でした。

お店の裏側は小さな庭園と池がありました。
小さな庭園側にも客席があります。
池にはコイがいました。養殖しているのでしょうか。コイ料理はここのコイを使っているのだと思います。
相模野台地に降り注いだ雨水が降りてくるのか、湧き水を使っているようで、住んだ綺麗な水が豊富に出ていました。

今回は、約2万年前の人類の生活や環境を感じるとともに、都心からでもちょっと足を延ばすと、のどかな景色のある場所を見つけました。
皆さんにも、身近なよいところが見つかるとよいですね。

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